赤岩ウェブ ホームページへ
赤岩

赤岩の最新情報をお伝えします

2011年5月12日木曜日

古きを温ねて...

ほとんど毎日、赤岩ん家でお茶を飲み、3日に1度はうどんを食べるか何かを買ってくれる―理想的な常連のT夫さん。馬方をやっていたのは知っていた。昭和一桁生まれで、敗戦の年に学校を出てから30年、昭和50年まで馬方をやっていたと言う。びっくりしてしまった。

昭和50年といえば・・・47年にあさま山荘事件、48年は石油ショックという変わり目の時代―高度成長期の終盤まで馬方を!? それも、赤岩で4人も! しばらく信じられず、変な言い方だが、逆立ちした浦島太郎のような・・・?

私事で恐縮だが、24年、産気づいたオフクロは戸板に乗せられ旧赤岩口まで、そこから鋼管のジープで中之条の病院に運ばれたようだ。ジープやオート三輪に赤岩の人が乗り始めるのは30~40年代か? 運んだものは、食料品、木炭などのほかに・・・?

たまたま馬方の話になり、中之条への山道で零下20度になったこともあるとT夫さん。当時の写真が1枚もないと言うので、これでしょう、と壁からはずして、虫メガネといっしょに渡した。



背が小さいので自分かもしれない、と言う。
アゴの線が似ている、ともう1人の常連が言う。
確証はまだない。



赤岩のことなどなにも知らないのだなあ、と思った。


(ゆる)

2011年2月22日火曜日

ちょいワルなノートから ③

●子供のあそび ――またまた旧情報です。しばらくお付きあいを・・・

おなんご   ふじけん   とんぼつり   くいぶち   くるまなげ   

なわとび   かくれんぼう(かくねっこう)   しりったぐり   よあそび  

のぞっこみ   ゆきだるま   そり   ゆきがっせん   せみつり  

とんぼつり   おたまつり   ほたるつり   はなび   ぶっつけ  

ふきや   ひきおす    みずあそび    みずぐるま   かわあび 



ふー。 八十過ぎて、たぶん、思い出すままに書いたものだろうから、

記憶違いや間違いもあるかも・・・。でも、戦後生まれにとっても、

やったことも聞いたこともないものが半分ちかくもある。


トップの「おなんご」がアヤシイ。「よあそび」はりっぱな子供のあそびだったんだ!

「のぞっこみ」って!! 興味深々。


赤岩に移り住んだセピアの昭和30年代が思い浮かぶ。そのまた奥の

ザラザラした明治30年代の遠い過去をのぞきこむ。


(子供の世界ってコワイなあ。)



(文責:ゆる)

ちょいフルなノートから ②

●小栗(上野介)さん家族逃避行

おそねさんが市兵衛さん方に嫁に来て間もなくの頃、畑で桑つみをしていたら

一行が通りかゝり、市兵衛さんの家を聞いたので其は私の家ですと案内して

家に連れて来た。


奥さんは疲れはてゝいて供の人の肩によりかゝるようにしていた。

市兵衛さん家(ち)では馬を二頭飼っていたので、この馬二頭で四里の道を

和光原<ヤマニ>まで送ったのである。


赤岩の篠原平作さんはしぎゅう(至球)の畑で仕事をしていて

この一行を見た一人であるとのこと。

又赤岩の関口周造さんはかじやしき(鍛冶屋敷)で畑仕事していて

この一行を見た。(直接聞く)


おそねさんはこの話を孫の久一君に時々話してくれたそうだ。



(文責:ゆる)

ちょい古のノートから ①

●せっちん神

昔はお釜場(かま神さん)、井戸(井戸神さん)と言うように、

便所(雪隠)には「せっちん神さま」があった。


私(注:明治生まれ)の小さい時の記憶で、中段に三角の板で

雪隠神棚をもうけて、切りはぎの御幣束を立て、その前に

お灯明の皿があり、正月にはお供え餅も紙にのせてあげ、

小正月にはお繭玉の三つ刺し(米一つ粟一つ稗一つ)もあげた。


門松も便所前に立て、オシメも吊るした。


小雨にはお膳をこしらえて上げる習慣があったと言うがいゞか。



(文責:ゆる)

2011年2月16日水曜日

赤岩地区電線等地中化工事②


工期は3月23日までの予定。
待ちに待ったバレンタインデー、

2月14日、赤岩地区電線等地中化工事が始まりました。

始まった途端、また雪が30センチほど降りました。

工事関係者の皆さまご苦労さまです。


火の見ヤグラを中心に、東西南北それぞれ100メートルほどが地中化されます。

町場でしたら歩道部分が利用されますが、赤岩通りの道幅は平均4メートルにも

満たないため、車道が工事対象となります。


そのため、赤岩通り南北100メートルが通行不可、通り抜けできません。

白砂川寄りの農道が迂回路になります。

(参照:赤岩WEB「地図」の湯本家住宅下から関家住宅あたりまで)


ご来訪の皆さまにはご迷惑をお掛けしますが、

なにとぞよろしくお願いいたします。

2011年2月9日水曜日

久々の雪景色なのに・・・


無修正
 あかいわ チラッ


久々の雪景色なのに又々々画像UP がうまくいかない。オーダーもレイアウトもメチャクチャだ!

明日友達が来るので頼もうか? でもβだし・・  あと5分

赤岩入口からの眺め
冬のナツヅタ
白砂川

2011年2月5日土曜日

赤岩地区電線等地中化工事

昨晩7時より、集会所で上記の説明会がありました。


小生、少々風邪気味で、熱はなかったのですが、寒気がして、

赤岩通りを途中から引き返してしまいました。


のちほどご報告いたします。


ごめんなんし。

2011年2月4日金曜日

再載(12/30/2010)


きのうの朝9時ごろの

中之条町「奥の奥の院・六合」の入り口、丸谷峠。


画像右上の長野原町からのクネクネ道を登りきると、

六合地区の赤岩、日影集落があらわれ、草津元白根山も遠望できます。


ここの工事は八ッ場ダム関連で、ほとんどストップ状態ですが、

国道292号線(画像左上の下り坂)がいちばん下の雪のテラスの位置にまで

下がるということのようです。


この辺りから、坂道、カーブ、日陰道も多くなりますので、

六合地区ご来訪の方々は気をつけて運転してください。


ちなみに、赤岩入り口は丸谷峠から、ゆ~っくり走って3~4分です。

2011年2月1日火曜日

忘れもの


1 ケ月以上も忘れていました。(ペコリ)


赤岩重伝建案内所・ふれあいん家に1/1,000 の模型が設置されました。

県庁→中之条ミュゼ(旧歴史民俗資料館)→赤岩と遡って

(利根川→吾妻川→白砂川)、ようやく実家に戻ってきたような・・・。


伝建保存地区 63ヘクタールの1/1,000 だから、えーと、・・・とにかく

1 メートル四方位のアクリルの蓋つきで、でんと鎮座しております。

案内小屋の中の大きなミニチュア? ・・不思議な感じです。

大きな鳥かガリバーの気分。これなら自由にクラッシュ・アンド・ビルドではなく、

修景保存ができそうだ・・・。


もうひとつの楽しみとして、(レーザービームを使って、)昔からの地名などを

古老からくわしく聞くことができること。 「リンゴノキ」、「タカサキヤマ」、

「ドロンタ」って一体どこからどこまで?


フシギなのは、「赤岩」という地名の由来にもなっているらしい岩山の名前が

未だに確定されないこと。

2011年1月31日月曜日

予告篇

① 源ちゃんの昔話ーちょっと昔のー

② 六合八景

③ 六合赤岩なつかし味ベストテン(北部とはかなり違うかナ?)

④ 六合ないないづくし

⑤ 幻の懐かし映画”大平原の男”?!

⑥ 「とうじうどん」とは? Kunipedia

⑦ 「赤岩通り」とは? (「加澤記」における) Akapedia

⑧ 赤岩ん家裏メニュー一覧

⑨ 忘れもの


と、とりあえずこの辺で・・・

2011年1月29日土曜日

ちょっくら草津へ・・・


26日(水)、久しぶりに草津に行ってきました。

草津の「とうじうどん」、2度目のお披露目。

湯畑白旗の湯の前のテントに行列ができていました。


うどん粉に熊笹?パウダーをこねた生地で、

「草津味(くさつみ)とうじうどん」というブランド名になるようです。

つるつるだが、しこしこ・・ではない中細麵で、白根山お釜の水色、

きれいな翡翠色なり。


汁はキクラゲ、エリンギ?など具沢山で味噌ベースの上品なお味で、

今後、味とか提供の仕方は各提供者のアイデアに一任される模様。

前回のお披露目での「とうじ篭」は、竹製の茶漉し!だったそうです。


いくらか敵情視察の気分もあったのですが、

六合っ子の「とうじうどん」とはまったくの別物という印象ですね。


当方としては、正統・伝統を踏まえつつ縛られず、懐かしい味を守りつつ

懐古趣味に走らず・・・とにかく、斬新でおいしい「とうじうどん」作ったる、

とあえて書いておこう。

ホテルヴィレッジ提供


エーッ! もう2月ッ!!

悠々として急げ、ですかね~??

2011年1月20日木曜日

ちょっくら遠出・・・②

 

きょうは赤岩ん家スタッフ+OB1名で、

長野県東筑摩郡生坂村の「かあさん家」に行ってきました。

(往復8時間以上 !! ww)



画像上から、「合鴨うどん」「とうじうどん」「煮込みうどん」のメンメン。

麵はもちろん地粉の手打ちで、中細麵~細麵といったところ。

コロッケは「おからコロッケ」。

う~ん、まんぷく 。 ふむふむ。。



興味深かったのは、六合地区では、囲炉裏の消滅とともに?

「とうじうどん」も廃れたと思われるのに、

信州、少なくとも生坂村では、未だに「とうじ」が食されていることです。

お隣のテーブルの地元のおばちゃん3人組によれば、

画像の鍋の中の「とうじ篭」が家庭で今も使われているようです。



人口2千ちょっとの生坂村にちょっくら親近感を抱きつつ帰路に。。

どげんかせんと・・・××ん家








 

2011年1月16日日曜日

どんどん焼き(2稿)


どんどん焼きのきれいな画像は、<イベント>で見ていただくとして、

こちらの画像は、6時点火から1時間半くらいあとの残り火の様子です。

*    *    *


小正月に行われる火祭りの行事。正月の松飾り、注連縄(しめなわ)、ワンコ

(ほかの集落では、ワラワン、ヤセツボともいう)、古いダルマなどが畑に集め

られます。14日午後1時、ヤグラの骨組みになる竹を切りに出かける者と、ヤ

グラの中身になるアンコをヤグラを建てる3箇所に分け始める者とに分かれ

て、仕事は始まります。切り出した竹を3,4本ずつ結わえて、3箇所にヤグラ

を建てます。

6時、いちばん小さいヤグラのアンコに火入れをします。ミズブサ(=ミズキ?)

にさした米粉で作ったマイダマ(繭玉)をどんどん焼きの煙にいぶして食べると、

1年中風邪をひかないといいます。また、厄年の人はみかん、菓子、カップ麺

などを投げ、火明かりの元、みんなで奪い合います。

昔むかし、どんどん焼きのことを「オンベーヤ」と言っていました。オンバシラ→

オンベに由来する言葉のようです。奥は深く、興味は尽きません。

2011年1月12日水曜日

松飾りアレコレ

(アレコレ・・とは書きましたが、画像失敗
で2点のみUP) 

昔ながらの手作りと市販ものとに大別され

ますが、思っていた以上に手作りのものが

多く、なんだかほっとしました。

門松はナラの木に三階の松、竹、シメナワ、

ワンコなどを結わえて作られます。

ワンコ(ほかの集落では、ワラワン、ヤセツ

ボとも)に供えるのは、年越しソバ、小さく

四角に切ったモチ、ゴハン、ウドンなど。
                                    
場所としては、玄関先、蔵、便所、小屋、井

戸、稲荷さん、そしてもちろん、家の中に飾

ります。仕事用の軽トラに飾る人もいます。

ある集落では、正月三ケ日、主人と同じ朝食

をお膳にのせて便所に供えると言われていま

す。「トイレの神様」にあやかって、三ケ日

くらいはそれもいいかもしれませんね。で

も、オセチに飽きたからといって、朝カレー

を供えてはいけません。それは「つきすぎ」

というもんです。


赤岩では14日(金)昼すぎから、松飾りや古いダルマなどを持ちより、

夕方うす暗いうちに小さなヤグラから火をつけ、「どんどん焼き」が始まります。

2011年1月11日火曜日

赤岩方言ベストテン(私家版)

画像編集が又々上手くいかないので、別案として、赤岩集落でよく聞く、あるいは

昔よく聞いた言葉をいくつか並べてみました。

* * *

1) ケサァ、イイアンベェダムシ。(→今朝はいい天気ですね。)

2) アンジャーネー!(→大丈夫だ!) 2,3年前、何百回聞いたことか!(←ウソ)

3) トビックラ(→徒競走) あゝなつかし。

4) ノメシ!(→怠け者!) よく言われます。

5) セッコウイイネー。(→よく働くねー。) オアイソで言われたことはあります。

6) オヤゲネ~。(←親気無い?→かわいそうだ。) 言われたくない。

7) オヤスミナンシ。(→おやすみなさい。) あぁなつかしかぁ~(なぜか薩摩コトバ)。ひいおばぁ   さんが寝床にイグメェーに言ってたなァ~。

8) ノウノウサン(→仏様) これはおばぁさんかな?

9) アバ。/ マタ来テクンナイ。(→さようなら。/ また来てください。)

10) ??   



参考サイト:http://www.kirara.ne.jp/kaiwa/

2011年1月4日火曜日

峠越え

×××切らして峠越えで隣町のコンビニへ。

(こんど六合地区のないないリストでも作ろうかナ?)


浅間山がキレイなので、デジカメとりに戻って二度越え峠(違うか)・・・。


懐かしくも六合村の標識がまだ残っていました。

ちなみに、画像右の未舗装の道は村道でも町道でもありません。

左の町道は隣町からの近道ですが、日陰道で狭く曲がりくねっていますので、

拙ブログ前項の国道292でご来六合された方がよろしいかと思います(特に冬)。



とりとめがないブログになってしまいました。

兎の逆立ちのような(→耳がイタイ)コメントもお待ちいたしております。